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家族との時間を大切にしながら在宅で稼ぐ

はじめまして、あっきゃんと申します。
ブログにお越しいただき、ありがとうございます。

私は在宅ワークで動画編集者として1年半活動しています。

詳しくは後ほどお話ししますが、家族の介護もあり、「家族との時間を大切にしたい」という想いから、看護師を辞めて、在宅で働くことを決めました。

さまざまな在宅ワークに挑戦する中で、「これから需要が伸びる」と言われていた動画編集に興味を持ち、スクールにも自己投資して挑戦。

でも、現実は厳しかった…。

時給単価500円以下、生活費すら稼げず、貯金を切り崩し1年半…。毎月の支払いのたびに、通帳残高に怯える日々。

「このままじゃまずい…」

ついに貯金も底をつきかけ、危機感を持った私は、収入を増やす方法を必死に探しました。

その中で出会ったのが、「Webマーケティング」のスキル

動画編集と掛け合わせることができれば、収入アップできる!!
そう考え、再チャレンジを決意!

このブログでは
月収3万円の低単価動画編集者が、
月収50万円を目指して奮闘する成長記録
を綴っていきます。

今回の記事では、

  • 私がどんな人間なのか
  • 動画編集を始めたきっかけ
  • 50万円を稼ぎたい理由
  • どうやって3万円から50万円を目指していくのか

について、お話ししていきたいと思います。

はじめに

自己紹介をさせていただいた理由は、これからブログを読んでくださる方に、
「どんな人がこの記事を書いているのか?」
を知っていただきたいと思ったこと。

文章だけでは見えない部分として、親しみを持ってもらえたら嬉しいです。

基本情報

名前: あっきゃん
年齢: 38歳(8月生まれ)
出身地: フィリピン
(生まれてすぐ日本に移住、英語は不得意)
家族構成: 母と20年間生きている愛鳥との3人家族
趣味:
・漫画、アニメ鑑賞
・ハンドメイド制作(主にアクセサリー)
性格:
・好奇旺盛: 新しいことや興味あることにチャレンジすることが好き。
・飽き性: 興味が移り変わりやすく、新しいことにすぐ心が動く。
・面倒くさがり: 何事も長続きしにくいが、自覚している。できるだけ楽をしたい。
・収集癖: アニメや漫画のキャラクターグッズを集めがち。熱中する期間は短いが、愛情は深い。
・経歴: 看護師として15年間勤務。
病院、クリニックや施設、訪問系の仕事で8回転職
(別途アルバイト、派遣、業務委託あり)

生い立ち

今の行動や考え方の土台となった過去について、もう少し詳しくお話しさせていただきます。

動画編集の内容は「目標を叶えるための挑戦」から。

幼少期〜中学時代

やりたいことに全力投球!だけど不器用…

私は一人っ子で、自由に育ちました。
幼い頃から、欲しいものを手に入れたり、やりたいことに挑戦できる環境にいたことで、自然と好奇心旺盛なチャレンジ精神が育まれたと思います。

4歳のとき、フィリピンから日本に移り住みました。言葉の壁でストレスを感じ、蕁麻疹を起こしてたそうですが、アニメや友人と遊ぶ中で楽しみながら日本語を覚え、自然とその壁を乗り越えました。

小学校から中学校にかけては、初めは周囲に馴染めず、いわゆる「コミュ障」でしたが(注:今もです)、アニメや趣味を通じて気の合う友人や先輩と仲良くなり、中学生に上がる頃にはインターネットを使って学校外でも交流も広げるようになりました。

「好きなものをもっと楽しみたい!」
その想いから、ホームページを作ったり、イベントに積極的に参加したりと、好きなことにアクティブに動き始めた時期でもありました。

しかし、ここで自分の性格に気付きます。

・同じジャンルに長く留まることはなく、『今ときめくもの』にすぐ心が移る
・人が簡単にできることも、自分は倍以上の時間がかかる
続けられたものは「褒められたもの」だけ

親や友達に褒めてもらったり、ネット上で評価もらえると嬉しい。そうして好きになったものは、どうしたらもっとうまくできるか、褒めてもらえるか、興味持ってもらえるかと自己研磨することも楽しんでいました。

でも逆に、数回挑戦してうまくいかないものや評価されないものは、楽しさを感じず、すぐに諦めてしまうことが多かったです。

部活動と恩師の言葉

中学校の部活動では、先輩から厳しい仕打ちを受けて、部活に行くことが辛いと思う日々が続きました。

運動部だったこともあってか、ここで辞めたら辞め癖が付く」と思い耐えていましたが、ある日、恩師である担任の先生に話を聞いてもう機会があり、相談をした結果、転部を決意。

恩師が顧問を務める吹奏楽部へ移り、部活メンバーにも恵まれ、転部後は穏やかで充実した日々へと変わりました。

辛い環境で無理をするより、思い切って環境を変えた方がうまくいくこともある

この成功体験が、この後の私の考え方に大きく影響を与えます。

卒業式での恩師の言葉

「上手く行かない時は、今いる場所が悪いのかもしれない。
そしたら止まる必要はない。少し場所を変えてみよう」

卒業式で恩師がみんなにかけてくれた言葉は、今でも心に深く残っていて私の価値観の土台の一つになっています。(書きながら恩師に会いたくなってきました)

ただ、この言葉は、私にとってプラスにもマイナスにも働いていて、
・プラスの意味で、無理な我慢をせず、環境を変えることで前向きに進む力
・マイナスな意味で頑張るべき辛さを避けるためにいいわけとして使ってしまっています。

・やりたいと思ったことには全力投球!人の評価がエネルギーに
・物事がうまく行かないときは
環境を変えることで、好転する可能性があるという成功体験と考えを持つ

高校時代

言葉にしてもらっても優しくできなかった…

父が肺気腫を患い、高校2年の冬に入院生活が始まりました。私は学校があったため、週1ペースでお見舞いに行っていましたが、病状の深刻さを理解できておらず、父との時間も洗濯物を取りに行って具合を聞く程度。30分も一緒に過ごしていなかったと思います。

あまり弱音を吐かない父が、「もっとそばにいてほしい」「優しくしてほしい」と思いを伝えてくれていたのに、その言葉を深く受け取れることができず、素直に応えることができませんでした。

反抗心だったのか、気恥ずかしさだったのか、今となってははっっきりとはわかりません。ただ、もっとできたことがあったはずだと、あの日の自分を悔やむ気持ちは今も消えません。

そして、高校3年生の春、父は息を引き取りました。

私は、もともと、「言葉にしてもらわなければ気づけない」タイプでした。しかし、それだけではなく、相手が「どうしてほしい」と伝えてくれたとしても、気持ちを汲み取って、答えることができず、「私は、人の思いに鈍感なんだ」と痛感しました。

それからは、できるだけ相手の反応を意識することを心がけ、また、自分で気づけないことが多いと自覚した上で、

・自分は言われない気づかないことが多いから、言葉にしてほしい
・それでも気づいてなかったらはっきり言ってほしい

周りの友達にも協力をお願いしました。甘えさせてもらえる環境であったことや優しい友人たちに感謝するばかりです。

家族のために頑張ること

父が亡くなった後、母は家事と育児をこなしながら、生活のためにパートで働き家計を支えてくれました。日本語が得意ではない母にとって、仕事をすることは簡単ではなかったはず。それでも、私に苦労を悟られないよう、明るく振る舞っていました。

実は、当時の私は、「家計が厳しい」という実感がほとんどなかったんです。母がどれだけ大変な思いをしていたのか、大人になって話を聞くまで気づくことができませんでした。

そして、父もまた、亡くなる前に 「家族のこれからの生活のために」と、必要な手続きを進めてくれていました。

何も知らない私は、ずっと 支えられて生きてきたんだなと改めて思います。そんな父と母の姿から、「家族のために頑張る」ことの大切さを学びました。

・父と母の姿から「家族のために頑張る」大切さを学ぶ
・「想い」や「願い」に
鈍感な自分を認識する

専門学校〜社会人初期時代

後悔と向き合う

父の病もありましたが、母の姉(私の叔母)が看護師として生計を立てていた影響もあり、幼い頃から母に「看護師になれば、収入は困らない」と言われて育ちました。

また、生活状況を知っている高校の恩師からのアドバイスもあり、「安定した職業を選ぼう」と看護師になることに迷いはありませんでした。

看護専門学校での学びは、ただ技術や知識を得るだけではなく、人の思いに寄り添うことを学ぶ機会となりました。

多くの患者さんやその家族との関わ流中で、父に「もっと寄り添ってあげられたら…」という、自分自身の後悔と向かい合うことに繋がったのです。

特に、患者さんの家族への対応には、自分自身が「家族」として経験した辛さや後悔の共感もあり、「今どう思っているのかな」「どうして欲しいのかな」と思いに寄り添うことを意識して、接することを心掛けました。

その経験は、この後働く、美容クリニックや施設での接遇にも大きく活きることになります。

ポンコツと辞め癖

無事国家試験を合格し、看護師としての生活がスタート。

しかし、命に直結する現場の重圧と迅速な判断が求められる中で、対応できない自分に自信を無くし、1年経たずに希望して勤務していたICU(集中治療室)から病棟勤務へ異動となりました。

病棟では同期の支えもありましたが、
・厳しい先輩の指導
・周りの看護師との力量の差
・業務についていけない焦り
必死で業務をこなそうとするも上手くいかず、自己嫌悪に陥る日々。

人の倍以上やって、人並みのことができるかどうかなのポンコツ。人より足りないことは時間を使って、できることから頑張りました。

・勤務1時間以上前に出勤して事前準備
・4時間以上のサービス残業
・夜勤では一睡もしないで、翌日の準備

なんとか最低限必要な動きはできるようになりましたが、こんな働き方を続けていた結果、「突発性難聴」

原因は不明だけど、医師からは「ストレスでしょう」と告げられました。片耳が聞こえなくなり、患者さんや医師の指示の聞き取りが難しくなったことで、さらに仕事がしづらくなり、「仕事に支障をきたすから」と、これを機(いいわけ)に病院を退職

その後は、内科や美容クリニック、訪問看護、介護施設など、様々な職場を転々としました。

理由は、
・やりたいことじゃない
・人間関係のトラブル
・コロナの影響による人員削減

転職を繰り返すたびに、頭をよぎったのは中学時代から感じていた辞め癖

「また続けられなかった…」と
自分にふがいなさを感じていました。

それでも、「今いる環境が良くないだけ」という言葉を支えに、「環境を変えてやり直そう!」と考えて、興味をもった仕事に挑戦し続けました。

今振り返ると、それが「前向きな挑戦」だったのか、「ただの逃げ」だったのかと考えた時に、「あれは逃げだったな…」と思うこともあります。

転職を繰り返しながらも、過去の先輩方の教育のおかげもあり、接遇スキルは評価いただけました。

患者さんからの感謝の言葉や商品のインセンティブ獲得上位など、
周りからの評価が、「自分にもできることがある」と自信へ繋がりました。

・鈍感ながらも相手の思いを意識することからやってみる
・「辞め癖」との葛藤の中でそれでも行動を続ける
・周りの評価と結果が自信に繋がる

在宅ワークのきっかけ

在宅ワークの楽しさを知る

仕事をを続ける中で、看護師としてのプレッシャーやや自分の力不足、人間関係、1時間以上の長い通勤時間に嫌気がさしていた頃、ご縁があり、知り合いのお手伝いでオンラインでの簡単な入力の仕事を始めました。

自分の好きな時間」や「家でできる仕事」は気持ちらが楽で「今後こういう働き方ができたらいいな」と憧れを持ちました。

そう思ったら行動は早く、まずは、X(旧:Twitter)の広告で目に入った、「稼ぎながらビジネスの基本や資金繰りを学べる」という物販のスクールに過去の退職金を全額投資して入会。

仕事と副業を両立し、大きな収入にはならず大変ながらも、副業への挑戦を楽しんでいました。

当時の私の優先順位は、「仕事>家族」

家には寝るためだけに帰る生活で、母との時間は月1回のおでかけ程度。母や家のことは二の次に。

母の手術

そんなある日、夜勤中に母の友人から「お母さんが倒れて救急車で運ばれた」と連絡を受けました。

救急隊から伝えられたのは「a型大動脈解離」。病院に着くまでに半数が命を落とすと言われる深刻な状態。不安と恐怖で頭がいっぱいの中、私は最後に母と最後に、何の話をした?それすらもわからなかったことに気が付きました。

病院に着き、生きている母に会え、手術も成功し、嬉しさと感謝で胸がいっぱいでした。

そして、親孝行をしようと心に決めました。

在宅ワークをしたい理由

症状が落ち着き自宅での介護生活がスタート。看護師なら慣れたものでしょう?と思われる方もいらっしゃるかと思いますが、課題は山積み…。

・私は家事が苦手でからっきし。減塩やバランスを考えるのも一苦労
・母は濃い味付けを好んでいたため、薄味には手をつけず、食事量も少ない
・心臓への負担に考慮しつつ、筋力低下を防ぐために運動させたいけど、本人のやる気がでず

看護師としての知識や経験はあっても、母の一挙一動に神経質になり、急変しないか不安に思ったりや優しくできないことに落ち込む日々を過ごしていました。

それと同時に、悩みながらも「母が生きている」ことに感謝して、必死に過ごしていました。母の回復が進むにつれ、「自分がやれること」が増え、リハビリも兼ねて家事をお願いできるようになり、私自身の気持ちにも余裕が生まれました

その3ヶ月どう過ごしていたか、記憶が定かではなく、きっと大変だったんだと思うのですが、それでも、母と一緒に家で過ごせる時間はとても幸せな生活でした。

親孝行がしたい思いと、「家族との時間を大切にできる」働き方をしたい気持ちが大きくなりました。

在宅ワークをしたい理由が「好きな時間に家で働ける自由な働き方への憧れ」から「母のそばで親孝行しながら働ける働き方」へ

目標を叶えるための挑戦

スキル0では生活費が稼げない

介護と在宅する中でのお仕事が本格的に始まりました。

もともと貯金苦手で、あるだけ使ってしまうタイプの私。
それでも、その時期、一心不乱に仕事をしていたおかげで、介護と家事に奮闘した3ヵ月分は働かなくても生きていけました

しかし出費が続けば貯金は減る。やがて底をつき、ついには10年間積み立てていた保険を解約して生活費に充てることに。10年前の自分に感謝。

介護をしながら家で働ける方法を探し、クラウドワークスで様々な案件に応募。

やってみたこと
・対談ラジオの文字起こし
・オンラインでの簡単入力作業
・アンケートモニター
・副業アンケート
・オンラインスクール体験など

スキルも実績もない私ができる仕事は、時給換算で500円以下どころか100円に満たない仕事ばかりでした。さらに、手数料を引かれて手元に残るものは微々たるもの…。

加えて、日中は介護に家事があり、仕事は主に母が寝てからの深夜帯と、作業時間は1日平均3〜6時間程度。

「このままじゃ、絶対稼げない」

そう気づくのに2ヶ月ほどかかりました。

次に、在宅で働ける」だけではなく「今後も活かせるスキルが必要だと考えたときに、クラウドワークスのオンラインスクール体験やアンケートモニターをした際に、「動画編集者」としての働き方を薦められていたこともあり、興味を持ちました。

何からやればいいかもわからなかったので、副業や動画編集関連の説明会を3件ほど聞いて、その中でも、マンツーマンで教えてくれて、費用としてもなんとか払えそうだと思ったスクールに申し込み(もちろん分割払い)、必死で取り組みました。

3ヵ月でカリキュラムを終えその結果は、

・生活費:約35万(スクール分割費用込)
・収入:約3万(動画編集+入力作業)

「全然足りない…」

初めだし、まだ駆け出しだから仕方ないとは頭で分かりつつも、作業時間に比べて報酬が少なすぎることに、どうしたものかと頭を抱えました。加えて、スクール卒業後は、わからないことを聞ける場所」がなく、インターネットで調べたり、クライアントさんと相談しながら進め、何とか依頼された動画を仕上げていました。

オンラインスクール「リモラボ」との出会い

家事や介護が落ち着いてから単価700円のリール作成を数本こなし、知り合いのオンラインショップのお手伝いをしても月の収入は5万円いくかいかないか。

圧倒的収入不足で、不安と焦りの中、X(旧Twitter)でいつも目に留まったのが、
かわいい猫のイラストで、わかりやすい在宅ワークの情報を発信している「リモラボ」のアカウントでした。ただ言われたままに仕事をしていた私は、このように考えながら、仕事ができる人として働けるようになれたらかっこいいな」と憧れを持ち、保存して何度も見返しました。

ここで学んでみたい。でも、別のスクールの分割払いが残ってる…。収入がない中では、新しい挑戦を始めることは諦め、タイムラインで流れてくる無料情報をただ収集していました。

結果、半年が過ぎても、結果は変わらず。

知り合いに声をかけて単価5,000円での動画編集のお仕事をいただけましたが、月1本程度。他にもオンラインでできる作業がないか聞いて、お手伝いさせてもらって収入を増やすべき奮闘していました。

そんなある日、リモラボの告知で「オンライン秘書」という内容を見つけました。
その内容が、すでに私が取り組んでいた業務内容とほとんど当てはまっている!

「ここで学べば、必要なスキルを身につけて成果に繋げられるかもしれない」

そう感じた私は、半年間自己流でやって収入が変わらなかったこともあり、無料セミナーと個別面談を受けて、リモラボへの入会を決意しました。

動画編集+αで収入アップ

リモラボに入って、ただダラダラと言われたタスクをこなす日々から、どう目標を叶えるかという意識を強く持つことができました。

在宅ワークで必要な知識や考え方の学びに加えて、様々な環境下で共に在宅ワークを頑張る仲間のいる環境。現状の自分を確認しながら、今できることにに対して必要なことを学び取り組みました。

ご縁があり、現在いただいているお仕事の9割が知り合いや紹介なのですが、動画編集を軸に資料作成、フィード作成、SNS運用の一部など、お手伝いさせていただける範囲も広がり、在宅ワークを初めて、収入は15万円までUP!

とはいえ、
・スクールの支払いを含め、生活費は毎月40万円超え
・クライアントからの動画編集依頼は1本2,500円〜
・1分の動画編集に平均10時間。時給換算250円以下

「このままじゃ、全然足りん…っ!」

収入を増やすための行動

足りない収入を増やすためにできることはないかと、できることに挑戦しました。

作業時間の短縮の工夫

動画編集1本あたりにかかっている時間は10時間以上。時給換算しても500円以下。作る時間を減らすことはできないだろうかと、
・テンプレート(プロジェクトマネージャー)の利用
・作り直しが少ないように事前にクライアント様と作るものを細かくすり合わせ
・ショートカットキーの見直し
結果2〜3時間短縮できたけれど、月に多くても10本は作れない状況。

仕事量を増やしてみる

単純にやることを増やせば収入は増えるはず!!と考えた私は当時のクライアント様に声をかけて仕事をいただいたり、知り合いからの紹介で新案件2件増やしたりと数で勝負に挑戦。

結果は、キャパオーバーで納期遅れで翌月に回していただいたり、一番お付き合いの長かったクライアント様が新事業を始めるにあたり大変だったのに、お手伝いできず。

低単価のお仕事をお断りして、できる内容だけに整理するのに1ヶ月かかりました。

単価交渉

仕事をしていく中で、時給換算してみたり、やってる作業を振り返って、もう少し金額をあげてもらえないかな?と思い、クライアント様に相談しました。

結果としては、動画編集の単価が1本2,500円から3,000円〜にUP
ただし、求められうクオリティが上がったり、ショート動画ではなく10分以上のものとなり、結局時給換算500円以下どころかさらに下がりました。

企画・台本の提案

動画作成において、企画台本を考える機会があり、バズっている動画をリサーチして、そこから企画と台本を考えました。

しかし、数日かけて作ったものは、クライアント様の期待には添えることができず、成果ゼロ。経験で終わりました。

挑戦したものは見事に空回り

「私は何をやっているんだろう…」自己嫌悪に陥りました。

しかし、試行錯誤を続ける中で、

ただ言われたまま動画を作るだけじゃ、クライアント様の求める”成果”に繋がらない。

クライアント様が欲しいのは、「認知拡大」と「売り上げアップ」

そのため自分の役割は、「成果に繋がる動画」を作れるようにならなければ!

そう考えるようになりました。

そして、成果に繋がる動画を作るために、「マーケティングスキル」が必要なことを知りました。

マーケティング、美容クリニックなどでその単語を知っていましたが、難しいし自分には関係ないと遠巻きにしていたもの。

そこでまたもチャンスが巡ってきました。入ってるスクールのリモラボで「WEBマーケティング」を学ぶコースが!!今残っている他のスクールの支払いも、支払いの目処が立ってきている。

「これはもうやるしかない!!」

必要だと思ったタイミングで来たチャンスに、やる気で溢れていました。

今できていないことの打破と収入を増やすため、WEBマーケティングを学ぶことを決意!

私の理想

正直に言います。

「超ハイクオリティな動画を作りたい!」

…実は、そんなに強い気持ちはありません。(作れるようになったらかっこいいなという気持ちはあります)

だけど、クライアント様からの「ありがとう」「これ、すごく良い!」の言葉はやっぱり嬉しいし、次も頑張ろうって気合いに繋がります。

でも、叶えたいと願っていることは、

「今の生活を守りたい」

それが本音です。

母の介護をしながら在宅で働きながら、

  • 母とまったり過ごす生活
  • 時間に縛られず自分で調整できる働き方

この生活が、私にとっての「幸せな生活」になっています。

さらに欲を言えば、10円単位ですら、「高いから」と我慢する母に、好きなものを食べて、欲しいものを買って、やりたいと思ったことを遠慮なくやって欲しいし、やらせてあげたい!

理想は、「家族と過ごす時間を優先した働き方で、家族とちょっと贅沢できる生活」

しかし、今はまだ、叶えられるだけのお金も時間も余裕が足りていません。

理想だけでは食べていけないのが現実。それに、ここまで続けてきたことや、自己投資の価値を無駄にしたくはない気持ちもあります。

だからこそ、動画編集を軸に仕事を続けたいと思っています。

理想の未来を叶えるために今できることは、「言われた通りに動画を作るだけ」ではなく、「価値を生み出せる力」を身につけて、成果を出すお手伝いをすること

時間にもお金にも余裕がない今、最短でその力を身につけるためには、「プロからWEBマーケティングスキルを学ぶこと」が必要だと思っています。

理想を叶えるために挑戦します!

おわりに

最後までご覧にただきありがとうございました。

これまでの経験を振り返って思うのは、失敗も遠回りも全てが「今の自分」の考え方や行動を作っているということ。

現在の収入は、動画編集+αで月15万前後と、まだまだ生活費には足りていないし、「20万の壁」が高く感じています。

「この壁を越えなきゃ、この生活は守れない」。だからこそ、

WEBマーケティングを学び、動画編集と掛け合わせて
2025年内に「月収50万」を達成する!

この目標を掲げて、挑戦していきます。

その学びや経験をブログで書いていくことで、その経験記録が、現在低単価で疲弊していたり、収入を増やしたいと思っているのに何からしていいかわからないと悩んでいる方の力になれたら嬉しいなと思います。

そして、そんな状態の時って、お金を稼がなきゃってことで頭いっぱいになってると思うんです。でも、「収入を増やしたい」の先には、叶えたい未来があります。

  • もっと家族と過ごす時間が欲しい
  • 我慢をしない生活をしたい
  • 自分の時間を犠牲にせずに働きたい

それぞれの、叶えたい未来や気持ちを大事にして、一緒に目標を叶えていけたらと思います。

このブログでは、
・月収50万を稼ぐために実践した行動とその結果
・収入アップに必要な考え方(マインドセット)
・Webマーケティングの基礎
・クライアントワーク
など、私自身の成長過程を通じてお届けしていきます。

このブログでお伝えしていく内容が、

  • 同じく低単価に悩んでいる方
  • 収入を増やしたいけど何からすればいいか分からない方
  • 理想の働き方をしたい人にとって、お悩みの解決のヒントや行動のきっかけになれたら嬉しく思います。

まだまだ挑戦の途中ですが、一歩ずつでも進んでいけば、必ず理想の未来に辿り着けると信じています。

ぜひ、これからも見守っていただけると嬉しいです。
そして同じように叶えようと奮闘される方は一緒に頑張っていきましょう!!

またお会いできるのを楽しみにしています!